Stride and Cadence
トレーニングゾーンを分ける基準
2025-01-08

心拍ではなくLTを見るべき理由




「苦しくないのに心拍数が高くなる」
「ゾーン 2 に入ると歩くペースになる」

一般的にトレーニングゾーンの指標として心拍数が使われます。スマートウォッチの普及により簡単に心拍数を計測し、その数値によってゾーンを定め、トレーニングに活用する人が増えています。しかし一部の人にとっては、心拍数に基づくゾーン設定ではうまくいかないこともあります。苦しくないのに心拍数が高い、心拍数を落とそうとすると歩く速度しか出せない、というケースは珍しくありません。これは心拍数が個人差やその日の状態によって大きく変わるためです。

実際、もっと正確で厳密なゾーン分けの基準は「乳酸閾値(Lactate Threshold, LT)」です。LT を使えば、血中乳酸濃度の変化をもとにトレーニングゾーンや負荷強度を区分でき、心拍数に基づく一律のゾーン分けよりも、より精密に運動能力を評価できます。


乳酸(Lactate)とLTとは何か


乳酸(Lactate)は、グリコーゲン(またはブドウ糖)が無酸素代謝されたときに生成される最終産物です。短時間で素早くエネルギーを生産する必要があるとき、身体は『解糖系(Glycolysis)』を使います。グリコーゲンはピルビン酸に分解され、酸素が十分に供給されている場合、ピルビン酸はミトコンドリアでさらなるエネルギーを生成します。

しかし酸素が不足しているとき、ピルビン酸は乳酸に変換されます。高強度の運動を維持するために、酸素だけでエネルギー供給ができなくなると乳酸が生成されます。生成された乳酸は、酸素が回復するとピルビン酸に再変換されてミトコンドリアで利用されるか、肝臓に送られてグルコースに再合成されます。運動強度や前後の酸素供給状態によって、乳酸の生成と処理は変わります。

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LT(乳酸閾値)とは、血中乳酸濃度の上昇パターンが変化するポイントを指します。乳酸が蓄積されると筋収縮力が落ちるため、LT は持久力を示す重要な指標として使われています。血中乳酸の上昇パターンには大きく2段階があり、それぞれを LT1(有酸素閾値)と LT2(無酸素閾値)と呼びます。これらの閾値における運動強度を LTP(Lactate Threshold Point)と表現します。


LTの測定方法


LT を測定する代表的な方法は2つあります。
ひとつは血中乳酸濃度を直接測定する方法で、一般に段階的に運動強度を上げて血液サンプルを採取し解析します。
もうひとつは間接的な方法で、呼吸ガス分析などの相関データから乳酸閾値を推定します。

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左のグラフは VO₂ に対する VE(換気量)の変化、右は VO₂ に対する VCO₂(二酸化炭素排出量)の変化を示しています。
運動強度が上がるにつれて血糖値や乳酸値が上昇し、呼吸中枢が刺激されて換気量が急増します。これにより呼吸パターンが変化し、血中乳酸が急上昇する LT 点が呼吸ガスデータから推定できます。この方法は採血不要でフィールドでも活用され、現場では両方の方法が併用されています。


LTとトレーニングゾーンの関係


LT1 以下の強度では酸素供給が十分で、ピルビン酸がほぼ乳酸に変わらないか、乳酸が生成されても再変換されて代謝されるため、乳酸の蓄積がほとんどありません。この強度では疲労を抑えて長時間の運動が可能です。Zone 1〜2 に相当し、LSD(Long Slow Distance)やリカバリー運動、軽いジョギングが推奨されます。

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LT1 を超えると乳酸生成が代謝量を上回って蓄積が始まりますが、酸素供給が十分なため一定程度乳酸除去でき、解糖系と有酸素代謝の両方が活性化されます。マラソンのレースペースに相当する Zone 3 がこの領域に入ります。

強度がさらに上がり LT2 を超えると、有酸素代謝だけではエネルギーを維持できず、無酸素代謝に頼ることになります。乳酸除去が追いつかず急速に蓄積されるため、この強度は長時間維持が困難で疲労も早く訪れます。この領域は Zone 4〜5 に該当し、テンポラン、インターバル、HIIT などが推奨されます。


だからLTを使おう


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血中乳酸の蓄積レベルにより運動持続時間や代謝システムが変化するため、LT はトレーニング強度の重要な指標となります。実際、マラソンやサイクリング、トライアスロン、クロスカントリーなどのトップアスリートはゾーンを 5 つに分ける代わりに、LT を基準に 3 つのゾーンでトレーニングすることもあります。

心拍は重要な指標で LT とも相関しますが、心拍だけではゾーンを正確に分けられない場合があります。人によって心拍数の反応パターンは大きく異なるため、「楽に感じる運動でも心拍が高い」「全力運動でも心拍が低く見える」といったケースがあるからです。心拍ゾーンは最大心拍数の%で表しにくく、睡眠不足やカフェイン、ストレス、緊張などのコンディションにより心拍が高騰することもあり、変動が非常に大きいのです。

LT は現在、スポーツ生理学やスポーツ科学におけるパフォーマンス評価と強度設定のキーワードとなっています。さらに、疾病管理やリハビリプログラムでも使われており、個人の運動能力評価において精密性の高い指標として注目を集めています。心拍と合わせて LT を活用することで、より精密でパーソナライズされたトレーニングゾーンが設定可能になりますね。


参考文献


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